秋日子のバーチャルの世界の住人達へ

政治経済からファッション、恋愛まで秋日子が独自の感性で世相を斬る!

愛の等価交換

秋日子



「応えられなければ終わり」という関係の正体

献身の裏に潜む冷徹な等価交換


とある業界で、いつ仕事がなくなるか分からない不安定な生活を送る男がいる。彼はその日々を支えてもらうため、ある女性からの経済的援助に依存していた。彼女の行動は、一見すれば深い「愛」や「献身」そのものに見えるかもしれない。男の知名度や活動のためにビジネス上のパートナーとして表舞台で協力し、私生活では健気に家事もこなす。そこまで尽くす姿を、周囲は「これ以上ない後ろ盾」と呼び、本人たちもそれを絆と信じているのだろう。


しかし、その圧倒的な献身の裏には、冷徹なまでの「対価」と「条件」が隠されている。男がその代わりに支払わなければならないのは、純粋な好意ではなく、ただ「女性の性的な欲求に応え続けること」。そして「他の女性を一切近づけない」という絶対的な独占を受け入れることだ。かつての彼は、そこまで金に執着する男ではなかった。他の女性を激しく求めるような素振りもなく、どこか純粋さすら残していたはずだった。


それがいつの間にか、彼は変わってしまった。口を開けば「金、金、金」。以前は本性を隠していただけなのか、それともこの環境が彼を変えてしまったのか。いずれにせよ、今の彼は経済的な利得としがみつく地位に完全に目が眩んでいる。実のところ、男の本音は「あの女1人だけでは肉体的にも精神的にも無理だ」と限界を感じており、本心では他の女性を求めている。しかしながら、他の女性を一切近づけないという彼女の徹底した束縛と、経済的な後ろ盾を失う恐怖の前に、この頃はもう抗う気力すら失い、その女1人で諦めて収まっているようにも見える。


ある日、行為が思うようにいかなかった時、男は女性から泣きながら「私では満たせないのか」と、その存在意義を否定されるかのように詰め寄られたという。この一言が決定的な呪縛となり、男は男としての役割を維持するため、薬に頼るようになった。「相手の要求に応えられなくなったら、その時点で全てが終わる(金を失う)」その恐怖に怯え、破滅に向かうと分かっていても、それでも薬を使い続ける。これを「愛ゆえの苦悩」や「一途な関係」と呼びたい者もいるかもしれない。


しかし、求められるパフォーマンスを果たせなければ崩壊するという恐怖と、諦めの上の従属にある関係は、愛ではない。互いの歪んだ欲望と恐れで結ばれた「共依存」であり、ただの「腐れ縁」だ。経済的支えや仕事の利便性を失わないために、本音を殺し、薬を使ってでも肉体を提供し続けなければならない。それはだらだらと楽をする生き方ではなく、自らの尊厳を切り売りする過酷な等価交換の現場である。こうした男女の、性的なドロドロとした生臭い関係を見るにつけ、私はどうしても考えてしまう。


人間関係には、もっと他に大切なものがあるのではないか、と。条件付きの献身や、肉体の利害関係のその先に、お互いを条件なしに尊重し、静かに深く支え合える絆があるはずだ。そう思ってしまうのは、私が枯れているからなのだろうか。それとも、彼らの世界が、愛という名の手枷(てかせ)で縛られすぎているのだろうか。孤独を埋められずに薬と金、そして支配と諦めに溺れていく彼らのリアルに、現代の人間関係の深い闇を感じずにはいられない。

曼珠沙華

秋日子



紅い命の、燃え尽きる場所


夕闇が迫る 地平の果て世界を血の色に染め上げて


曼珠沙華が 狂おしく咲き誇る白き衣に 身を包み


黒いマスクで 溜息を隠しても胸の奥の 激しさは


隠せない「あなたを愛して、私は変わった」


あの歌が 耳の奥でリフレインする


夕陽が落ちる その一瞬にすべてを焦がして


咲き急ぐ沈む陽の光に 導かれながら


私は 終わりのない 紅い夢を見る



山口百恵 伝説の名唱 曼珠沙華

手取りの三分の1を超える家賃は危険

秋日子



数字は嘘をつかない 〜

投資家大家の視点と、足元が語る経済状況〜


皆様、ごきげんよう。秋日子です。不動産を動かし、大家として、また投資家として日々数字と向き合っていると、世間の「見せかけの言葉」がいかに虚しいものであるかを感じることが多々ございます。


本日は少し視点を変えて、投資家としての冷徹なマネーフローの現実と、人間の本当の経済状況を見抜く鉄則について、淡々とお話ししてみましょう。私の元では現在、使っていようがいまいが、ただ維持しているだけで毎月「52万円」という固定費が静かに引かれていっております。


内訳は極めてシンプルです。本郷の持ちビルの中にある広めの4部屋を、もしどなたかにお貸しすれば得られる想定家賃収入が毎月38万円。そして、同エリアで私や家族が車を2台置いておくためだけの地面である駐車場代が毎月9万円。これに加えて、普段使っていなくても毎月口座から引かれていく、京都・嵐山の渡月橋近くにある142平米のマンションの管理費が5万円。これらを合計した月52万円という固定費を、私はただ平然とマイナス(維持費・機会損失)として処理しています。


では、投資家大家の視点から見て、給料や手取り収入の「何パーセント」を居住費や固定の維持費に充てるのが最も健全なのでしょうか。結論から申し上げれば、最も理想的で堅実なラインは「手取り収入の25%(4分の1)」です。どれほど攻めたとしても、「33%(3分の1)」が絶対に超えてはならない上限というのが、経済の冷徹な鉄則でございます。


仮に毎月52万円の固定費を支払いながら、何一つ生活を脅かされずに優雅に暮らすための「手取り月収」をこの「鉄則」に当てはめてみましょう。手取りの3分の1を上限とするならば、毎月の手取り月収は最低でも156万円。最も健全な4分の1のバランスを維持するならば、毎月の手取り月収は208万円以上が必須となります。


日々の生活に真のゆとりが生まれるのです。固定費が収入の半分やそれ以上を占めているような状態は、投資家から見れば「破滅へのカウントダウン」以外の何物でもありません。そして、その人がどれほど言葉で着飾ろうとも、この「パーセンテージの歪み」は必ずある一点に露呈します。


「その人の本当の経済状況を知りたければ、お顔ではなく、足元の靴を見ろ」これもまた、不動産や人間を見る上での普遍的な鉄則です。どれほど高価な嘘を吐き、どれほど優雅な暮らしや二重生活を演出していようとも


その人が毎日履いて地面を踏み締めているスニーカーが「ボロボロに擦り切れて」いるならば、それがその方の真実の経済状況(ファクト)なのです。手取りの3分の1という健全なバランスを無視して固定費や見栄に全財産を投じてしまえば、実生活の土台である「靴一足」すら自分の本当のポケットマネーで新調できなくなります。


上半身の虚飾は、ボロボロの足元という冷酷なファクトによって一瞬でめくれ上がるのです。本物の豊かさとは、静かなものです。ハリボテの嘘はただ虚空に消え去るのみでございます。皆様も、誰かの言葉の「表面」に惑わされることなく、どうぞその方の「足元」と「身の丈」に合った数字を、冷静に見つめてみてくださいね。それでは、皆様。穏やかな夜をお過ごしください。